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BONSAI 2021年最後の作品


今年、2021年も12月の最後の週になりました。


昨年に引き続き、韓国、台湾、日本の若手作家のグループ展に参加させてもらってオンライン展示会をすることになりました。


私は動植物が大好きなのですが、今回は動物は不参加で松の木が登場します。


ぜひYouTubeで作品展を視聴していただけたら幸いです^^


私は日本画という世界を高校の時から勉強して、今に至りますが10代の時から麻紙の上では大きく、おおきく、伸びやかに描くのが好きです。


絵本の世界のような、イラストに近いアクリル画だとF8くらいの机に乗るサイズの紙に2mmとか5mmとかの花を無心で敷き詰めるのが好きなのですが・・・


私の中の線引きがあって、アクリル画は完成したら部屋の中、机の上でふふふと心を豊かにするような鑑賞を楽しむような存在。


日本画で表現する世界は、生活を飛び出した大きな空間。雰囲気のある寺院の屏風、襖だったり、


理想は非現実的な空気の流れる静かな教会など。



正直、飾る場所に困るような画面かなあと自分でも思うのですが・・・


日常生活やその時代、変化に富む世界から切り離した存在として生まれ、


第三者からの共感や人懐っこさはあんまりないかも、だけどそれで良し!みたいな


どこか割り切った作品を目指し描いています。




盆栽に興味を持ったのは、以前上野の公園でツツジの盆栽展示にふらっと立ち寄った頃からです。


ちょうど家の近く、東京の盆栽美術館があると知って、そこに行ってみることにしました。


職人さんが常に盆栽を作っている様子が見られる場所で、完成した見事な盆栽も本当に素晴らしかったのですが


針金でぐるぐるにして形を作るっていう俄かな知識はあったものの、


実際は鉄の支柱が刺さっていたり、針金よりも太いものでぐるぐるに締められていたり。


こんなに矯正って大変な過程なの!!??って衝撃でした。


衝撃であったと同時に、いつかこの過程を作品にしたいなと考えるようになりました。




最初は麻紙の画面に白黒で伸びやかに、楽しく松の樹形を描いていました。


しかし、制作の途中「葉っぱの色の完成した姿が見えない」。問題に突入。


そして段々と盆栽の矯正器具を描く中で、「もしかしたら木々の立場としたら、強制的にくねくねにされるのは不本意??」


「自然界で伸び伸びと大きく育つ松もある中で、盆栽はこの狭い鉢の中で大きく伸びることを知らず可哀想なのでは・・・」


「職人の手にかかれば1億円の価値のある作品になれるかもしれないけど、果たしてそれが松にとって幸せなんだろうか?」


などと、悩み、筆が止まってしまいました><




しかし、夜中に一人で作品どうしようと悩んでいた時、松から返事があったのです・・・




どうやら「職人→強制的に形を変えられる」という図式ではなく


「職人と松は相思相愛!」ということだと言ってくるのです。


職人は、松の個性を細やかにみながら矯正をしていくのに対し、


松も一緒になって理想型になるよう努力し、こうしたら良いよ、ああしたらもっとかっこいい姿になるよと提案するらしいのです。




松の立場からしたら、沢山手入れをしてくれる職人が本当に好きで、期待に応えたい!という熱い想いがあるらしいです。


だから第三者が矯正された姿を見て、可哀想とか勝手に思わないでほしいと言うのです。



夜中の薄暗い部屋の中で、盆栽の松の心が、自分の心にバシバシ叩いてくるのを感じました。





そしたらある松が「葉っぱの色、ピンクがいい〜」


と言ってくるので、えええと思いながらピンクにしたんです。



騙されたと思いながら、白黒の画面にピンクが入ったことにより・・・



なんだか不思議と心の中でしっくりきました。



それから他の松の葉っぱの色も、お花のような色にしようと思い、目がチカチカする美群青、菫色、茜色とどんどん色が決まっていきました。


そして無事に年末のオンライン展示会で発表を遂げることができました〜^^




いつか実際にこの作品たちを外の会場でお披露目できたらいいなと願っています。








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