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糸巻きちゃんと、ラクダちゃんのお話です。




糸を通す、糸を布に刺して縫っていく作業は、実際に裁縫をしてみると結構時間がかかります。


簡単な巾着袋も、小物もそうですが、一着の洋服を作るというのは大変な労力がかかっていることがよく分かりました。


縫製品が安く売られているとラッキーと思う反面、労力を考えると「これでいいの?」と申し訳ない気持ちというかモヤっとすることもあります。


時間をかけて縫い物をしていると、生きることって布に糸を通すような姿に見えたことがあります。


毎日の歩数、毎日の言葉や行動、いろんなものを一本の糸が広大な布のようなものにブスブスと通っていくような。




私は健康な体を持って、当たり前のように働き、生きていること、恵まれていること、ありがたいなと感じる一方


「このままでいいのだろうか?」「これがいつまで続くのだろう?」と漠然とした徒労感、焦燥感を感じる瞬間ってあります。


疲れた気持ちになると、当たり前のことの負担感がどしっと重くなります。


これまで薄手の生地をスイスイ並ぬいしてたところ、急に厚手の布地変わってしまい、


1針進める度にぎゅうぎゅう力を入れて、針を持つ指が痛いよ、という力にものを言わせる状態で針を通すように。





そんなどことなく徒労感を感じている糸巻きちゃん、ある時針の穴の向こう側に綺麗な黄金色のラクダが見えるようになります。


ラクダは人間一人では難しいような広大な砂漠を共に横断し、助け共にしてきた強靭で力強い相棒でもあります。


しかもこの作品の中で現れたラクダ、糸巻きちゃんに気づかれるまでずっと待っていたそうな。


やっと気づいてくれた〜!と言って最後、目的地まで一緒に旅をするようになりました。よかったね。



毎日の生、何かの目的地を前にして疲れを感じた時、きっとそばに旅路を共にしてくれる強い味方のラクダがいます。


ぜひこの文章を読んでくださっているあなたも、針の向こうにいる素敵なラクダを見つけて、一緒に旅をしてみてください。




「ラクダと針」というフレーズ、どこかで聞き覚えがある方もいるかもしれません。



聖書に登場するイエス様が、「金持ちが天国に入ることは、ラクダが針の穴を通るくらい難しいことだ」と話した内容がありました。

昔の人(約2000年前、当時のユダヤ教)は教会に献金を多くするほど信仰が良いとされていたようです。

当時は教会に納める献金が多いほど天国が近いと、献金が少ないほど天国が遠いよ〜とみなされる状況だったそうな。


そこでイエス様の「金持ちが天国に入ることは、ラクダが針の穴を通るくらい難しいことだ」の話です。


天国=大金を積めば入れるというのは違うと言いたいのだと思います。


当然、そのお金で懐が温かくなっていた当時の有権者からはイエス様は嫌われてしまいそうですよね。


はい、聖書を読むとイエス様はいろんな場面でこういった有権者、権力者から歯軋りされています。





話を戻しますが、「ラクダが針の穴を通る」というイエス様が2000年くらい前に話した衝撃的なフレーズ。


それってほとんど無理じゃない?物理的に不可能では?と思う一方、ちょっと頭に残りませんか?


私もラクダが針の穴を通るというのを描いてみたくなりましたww


どういうふうに描けるかなと考えていましたが、遠近法だと針穴を通った風?にするのは可能だと気づきました。


めっちゃ針穴から距離を空けなきゃいけませんが。


空とおく飛ぶ鳥でさえも、手に持った小さな針穴を簡単には通らないです。穴が大きめの刺繍針ならいけるかな・・・


針穴の大きさにもよりますが、巨体なラクダを遠近法で通すためにはかなり距離がいると思います


私もいつかやってみたいですが、動物の近くで針持ってたら怒られるよね・・・。

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