お久しぶりです〜
今回は9月に台湾で開催された展示会に参加しました!そちらに出した作品の紹介をしたいと思います。
「くじら」
はじめに「深い深い青の海が描きたい」という心の声が聞こえました。
生活の中でいろんなことをしながらも、その声は消えず。
本当は全く別の絵を描こうとしていましたが、下書きも全部真っ青に塗りつぶして
いろんな海の深い色を重ねて、波と波が交差する感覚を感じながら
心の声が聞こえなくなるまで
ずっと画面を青く塗っていきました。
こちら制作途中の様子です。自宅です!部屋の端から端まで使って描いています!
絵の話に戻ります^^
青く塗ったのに私の心の声が満足したと思ったら、次に「魚が描きたい」というのです。
なので恐る恐る胡粉で小さな小魚を一匹。
そしてまた一匹と描くうちに、止まらなくなり
どんどん魚の群れを描くようになりました。
夢中で、どんな結末になるのかわからずに筆を走らせていったら
小魚が一本の道になり、
波のようになり
そして、遠くから眺めるとクジラの形象が見えるようになりました。
そうして生まれた作品が、この「クジラ」という作品です。
遠くから見るとわからないのですが、近めで見ると何匹描いたかわからないくらい、白い胡粉で描いた魚がいっぱい泳いでいます^^
この作品を呼んだ心は、
いくらクジラが大きな魚で、小魚がクジラになりたいと願っても生まれ変わらなければ難しい。
それに海ではなく淡水で暮らしたいと願っても、それも難しい。
陸上で暮らすのはもっと難しい。
その小魚がその生を生きる間は、その限られた位置から離れることはできない。
しかしその同じ時代、同じ環境に生きる小魚のまとまりを遠く離れて、だいぶ高い位置から眺めると、
どんな一匹の大きな魚にも勝る、とてつもなく大きな一つの形象を作っているのかもしれない。
それと同じく、人々もそれぞれの位置、個性、その状況で最善を尽くす生がとても大きい。
という事を神様が言っているような感覚が何となく伝わってきました。
私は戦争のない日本に生まれ、健康な体を持ち、平和に生活の積み重ねを生きていますが、決して飛び抜けてクジラのような大きく大きい生を生きている訳ではありません。
私と同じ年齢で世界に挑戦し、色々な事に成功し、華々しい人生を歩む人もいれば、
毎日を様々な状況で奮闘している人、様々な人がいると思います。
それぞれの人が気づいたら30年、50年、70年と・・・年を重ねると共に歳月が流れ、
一人では決してできない様々な事に出会い、
色々な形象を描くように過ごしてきたのではないかなと感じます。
しかし一日を見ると点のような生。
瞬間の24時間。
社会を形成する一部になって生きる生。
そんな繰り返される毎日を迎える生は、一見当たり前のようでもありますが
このクジラの絵のように、行く先が見えないほどの深い深い青い海に
その巨大な海の波に溺れないように、最善を尽くして、毎日を生きていく
同じ時代、同じ環境に生きる人々の姿は
よく考えると、とてつもない奇跡の姿のように感じます。
深い青い海を泳ぐ毎日は
凍えるほどに冷たくもあり、暖かくて心地よい時もありますが、
貴重な日々、様々な出会いへの感謝を一層噛み締めながら、
自分の生きる人生が
大きなクジラを描く生になっている事を信じて、感謝して生活していけますように。